わさらー家総本山(Twitter→@wasarabit)

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聖ワサラー教(せいわさらーきょう)とは

聖ワサラー教(せいわさらーきょう)

わさび農家のツイッタラーわさらーが作った、人に対する愛を持つ人のみが入信できる宗教。

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●概要

わさらーが「一人のツイッタラーとして、ツイッタラーの価値観を本気で変えたい」

「道徳観が乱れている今のツイッターを、みんなが楽しめる平和な世界に変えたい」

との思いで作られた宗教。

わさらー本人曰く

「自分の中にある愛等を自分自身に憑依させ、ツイッターに蔓延る悪意から自我を守り、

その中でトリップして自身を自由に表現するための宗教」

であり、この宗教内ではフォロワー数・ふぁぼ等は意味を持たず、

「自分のみが意味を持つので、何も考えなくていい宗教」

であるとのこと。

わかりやすく説明するなら、たとえばニコニコ大百科などにおいて、

「聖ワサラー教」の頁を作るのはメンバーとしての立派な活動であり、

「聖ワサラー教」の頁を作らないのもメンバーとしての立派な活動である。

個人ブログ等において、「聖ワサラー教」について語るのも立派な活動であり、

個人ブログ等において、「聖ワサラー教」について語らないのも立派な活動である。

わさらー本人をして「教団マークや教歌は既に完成している」らしいのだが、

発表を一切しない、する気配がしないことから、彼のスタイルから察するに、

自分が発表することで住民達が「その教団マークと教歌で決定してしまう」と、

想像力を妨げてしまう事態を危惧してることが窺える。

あくまでもわさらーは立ち上げた者であり、権力者では無いからだ。

●場所、入国教資格 

神や仏と同じで、「自分がそこに存在すると信じればそこに存在する」のが聖ワサラー教である。

入教資格については、外国人でも宗教人でも誰でも参加可能。

故に、他人に悪意を持つアナタでも、愛さえ持てば受け入れられる、素晴らしい教団なのだ。

それこそ極端にいうならば「人間(ひと)」じゃなくてもこの宗教には入れるのだ。

●雑記 

・わさらーは2011年上半期に、自身のラジオ番組にて

「誰か、ウィキペディア?でしたっけ?

いつ、あそこに『聖ワサラー教』のページを作ってくださるんでしょうか?

待ってるんですけれどもね。僕がやってもいいんですけど……」

と発言した。

・聖ワサラー教の方針「何も考えなくていい」というのは決して

「思考を放棄してもいい」ということには帰結しないので、要注意である

・わさらーの親友のふにゃ帽子はこの件について

「わさらーさんはこんなことばかり提唱したりしてるから、

変人だとかキチガイ○だとか思われるかも知れないけど、

じゃあ、変人じゃない人達って何ですか?

何もしない人が普通人なの?何も作り出そうとしない、提唱しない人が普通人なの?

僕は変人の方がいいですね」

と肯定的な意見を述べた。

この発言ついてはわさらー本人も「救われた」と語っている。

・わさらーの師匠的な存在の回転ケイクは

「何があったのこいつ?」と困惑しつつも

「何があったの?とファンに思われるだろうに、思いついた事をありのままに、

なんの衒いも無く発表出来る、行動に移せるわさらーはやはり凄い奴なのかも」

とコメントを寄せている。

・ほとんどのファンが

「聖ワサラー教は、わさらーが何かをしてくれる国」

と勘違いしているのに対し、

ワサラー団メンバーのニルメガネは

「聖ワサラー教は、僕らが何とかする教団」

と真意を察し、わさらー本人からも感謝された。

「僕も聖ワサラー教に入っていいんですか?」

「僕が決めることじゃないです。あくまでも、自分で考えてください」